つらいのは君だけじゃない。

発達障害児二人の子供を持ち現在うつ病を患う同居嫁の独り言

私が学校を嫌いになったわけ

昨日はスコーレという会に参加しましたが、学校で起きたあれこれを話すうちに、何故私はこんなに強い不信感、抵抗感を抱くようになったんだろうか、とふと考えました。



そしてこの強い不信感の発端を探るうちに、ある出来事に行き着きました。



次男がまだ保育所に居た頃、同級生のベトナム人のお母さんが当時私の勤めていた店にお客さんとして来ました。


「何をお探しですか?」


ベトナム人のママさんは日本語がまだ片言でした。先輩店員が情報を聞き出しますが、中々上手く伝わりません。


「書き方ペン」といってスマホの画像を見せるママさん。ようやく何とか伝わりましたが、店に書き方ペンは置いてありません。


「うちには無いのよ、ごめんね」


店長が謝って断り、ママさんはがっくり肩を落としました。


そして店長は私に「あんた知り合いなんでしょ、友達なんだから面倒みてやりなさい」


ということで、会話もしたことのないベトナム人のママさんと友達になりました。(汗)



それから保育所で会ううちに言葉を交わすようになりました。


彼女の子供は私の息子と同じ小学校だということが分かりました。


「どうしても書き方ペンじゃなきゃダメだと学校から言われた。車が無いので毎日自転車で色んなお店に行き書き方ペンを探している」


と片言の日本語で話す彼女。


日本語が拙い、移動手段が自転車のみ、その彼女に書き方ペンでなければダメ、と言い放つ学校側の対応に


「意地悪だねー!!」


と憤った記憶があります。


後で分かったことですが、彼女の旦那さんは目が見えないベトナムの方でした。


旦那さんに頼むことも出来ない、仕事の合間、休みを遣い、書き方ペンを探して回る日々はどれだけ大変だったか。



彼女がお店に来てから一週間くらい経ったある日、次男の療育の合間に立ち寄ったホームセンターの画材コーナーで、書き方ペンが一つだけぶら下がっているのを見つけました。


私はそのたった一つだけ残っていた書き方ペンを購入しました。お値段120円。


たった120円の書き方ペンの為に来日も来日も自転車を走らせていた彼女。


日本人には当たり前に用意出来る物も、国も言葉も違う彼女には中々手に入らない物。


その圧倒的想像力の欠如。思い遣りの至らなさ。


なあにが教育だ!なあにが人を思いやる心を、だ!美辞麗句並べ立てやがって白々しい!ふざけんな!



彼女に書き方ペンを渡すと、彼女はありがとうと非常に感謝してくれました。120円のプレゼントを送ってこんなに喜ばれたのは初めてです。


それでも「あなたのお子さんは?書き方ペン持ってるの?」と次の瞬間には私の子供達の心配し、貰うことを躊躇して。


「大丈夫。私の子供は持っています。だから貴女にあげます」



喉から手が出るほど欲しい筈なのに、次の瞬間には私の子供の心配出来る彼女の優しさ、思慮深さに私は感心しました。



それからは本当にママ友になりました。


彼女は私より大変な筈なのに、いつもニコニコと笑顔で明るくて、国も人種も違うけど、心から尊敬しています。




という経緯が有ったのを思い出し、ああ、私の学校に対する不信感はこの一件からなのだ、と思い至りました。



弱者に容赦なく平等を求めるのは、強者の理論。平等と公正は違います。


マイノリティな私たちに配慮のない平等を求める傲慢な学校の態度に、この時本当に強い不信感を残念ながら抱いてしまいました。



後日学校からのアンケートに上記の一件を書いて


「あいさつ運動も合唱も素晴らしいことだと思います。でも本当に大切なことは目に見えません。目に見えないことを大切にできる、そういう教育であってほしいと思います」


と書かせて頂きました。



伝わったかは分かりません。恐らく伝わってないんでしょうね~。残念だけど。〇〇小様には。



私のように声を上げられる人ばかりでないのも、忘れてはいけないことだと思いました。