合理的配慮とは?
今日も学校に行きたくない、と次男がメソメソメソポタミア文明でした。
メソポタミア文明の次男と登校班でてくてく歩いて行きます。他愛ない会話をしながら歩くと、気持ちがいい感じに切り替えられ、学校に行きたくないモードもトーンダウンしてくれます。
一昨日の支援級の連絡帳に、今年の一年生は漢字練習に『らくらくノート』は使いません、と明記されていました。
WHY?
次男は識字が苦手です。療育で『×』を書くのでさえ半年かかりました。
元々ハードルが高かったところから低いところへ移行するのであれば理解はできます。「これは難しいよね。じゃあもっと簡単な所から始めようか」これならば納得できます。
ところが、従来使っていた平易なものからより難しい高度な学習へ、要支援の子供に適用しようというその流れは一体何処から?
次男は処理速度もボーダーの域です。目で物を追いかけながら作業をする、追従性眼球運動も弱いのです。視写、模写も不得意なのは、医療、療育、発達検査での結果が証明しています。
今日の連絡帳には上記の点を書いて『合理的配慮に基づく支援を一保護者として要望します、ご一考お願い致します。』
駄目なら教育委員会へレッツラゴーです。
母ちゃんは何処へでも行きます。
たかがノート一冊。されどノート一冊。
漢字のスタートでつまづいて嫌な思いをしてほしくないんです。
実費で構わないなら費用負担、喜んでします。
学校側の杓子定規な対応にほとほと疲れてしまいました。とりあえず明確な回答を待ちたいと思います。
信じられないですよね。ノート一冊でこの騒ぎ(汗)
でも本人が持っている困り感を軽減してあげることが支援の本質ではないでしょうか。
目が悪かったら眼鏡をかける。耳が悪いなら補聴器をつける。脚が悪いなら杖をつけばいい。
支援の根本はなんら変わらない。段差を取り除いて配慮してあげること。
なのに。段差を新たに設けるべ、という学校側の対応。はあ、なんだかなあ。。がっかり。。
母ちゃんはノート一冊でも戦場に赴きます。
やったんで。
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